冬コミ提出物の序章だけをドゾー
ダメだダメだダメだ。ただただダメなのだ。人生が何をしてもうまくいかない。うまくいった例がない。
うまくいったようで、絶対に落とし穴が待っている。幸せは不幸への、落とし穴へのフラグでしかない。更にその落とし穴は、2重底か、はたまた3重底。いやいや、もうそんなことは無い。不幸の螺旋階段なのである。
一体いつ不幸が来るんだ?
これの代償は何なのだ?
ほらやっぱり来た。
明日はきっといいことがあるのか?
ほらやっぱり来た。ざまあみろ。
いつも自分だけいつも自分だけいつも自分だけ。
自分の不幸は宝物だ。ざまあみろ。
誰も信じたくない。誰からも信じられたくない。
私は、精神保健福祉士になり損ねた25歳の春頃、いつもそんな事を考えていた。「バブル」、「キレる世代」、「偏差値至上主義」、「就職氷河期」
一体どれくらいの暗いワードが飛び交ったのだろう。
小学2年生に上がる頃に大阪に引っ越し、中学に上がる頃に埼玉に引っ越した。言語の違いや風習の違いに戸惑っている内にすぐに高校へ。高校は女子30人男子10人のクラス替え無しの3年間。一見ハーレムに見えるが、すぐに軋轢が生まれ、3年間それが続いた。暗いワードは容赦なく私を痛めつけた。それ以降も。
そして助けてくれる友人が居ない。
友人という概念が何なのか、体験することがないから、分からないから、自業自得自己責任の日々自責点?である。
先生からも周りからも「そんなことをしたら嫌われるのわからない?」だとか「どうしてそんな事をいつもするの?」と云われたが、理解ができなかった。
理解できる筈がない。理解する受容器が無いものは仕方ない。無い袖は振れない。その袖がないくらいに貧しい。ノンスリーブだった。
結局のところ、「人は何かと忙しいんだから」仕方がないのだ。そう忙しいのだ。恐らく。多分。きっと。そうに違いないんだ。そう考えることが自然だろうし、本当の事を教えてくれる人なんていやしない。目を見れば分かる。オーラで分かる。匂いで分かる。なんとなくそんな気で分かる。
しかしそんな鬱な事しか考えられなくなっていた私を好いてくれる人は居たのだ。なんという奇跡。そいつはバカに違いない。例え、早稲田大学教育学部卒で170cmで細身で大変美しいとしてもだ。そんなバカを信用するなんてできない。なんか嘘くせぇ。
私は大学卒業後、どうしようもない自責と、どうしようもない自己効力感の無さ、加えて社会性の無さの問題を誰にも打ち明けることができず、いつかうまくできるんだと、周りを騙し騙し生きていた。
精神保健福祉士になることができなかった私は、すっかり潰れてしまい、腐ってしまった。もう。どうあがいても騙しようが、逃げようがないではないか。
結局、私はその人と同棲をすることになった。せざるを得なかったのだ。ホームレスになってそのまま野たれ死ぬ気でいた私を回収したと云っても良かったようなものだった。
そして当時4年間お付き合いをしていた女性と別れ、実家を捨て、駆け落ちした。
4年間お付き合いをしていた人が嫌いだったわけではない。結婚を前提にお付き合いをしていたと思う。しかし、根本で人を大切にすることができない私は、一体この先どうして社会とやり合っていけばいいのか。
その答えが全然分からなかった。
一向に暗いワードどもも容赦なく私の正気を削いでくる。私はいつからか、申し訳ない気持ちでいっぱいになっていた。
好きな気持ちはあるのに、相手は私の事を信じて真っ直ぐに生きてくれることを待っていてくれているのに、私はそれに対して、月20万弱とボーナスを持ってくれば良いというミッションをこなすだけで良いと分かっているのに、答えられないのだ。なんてことは無い。ただのクソ野郎だ。
4年間お付き合いした彼女を裏切ってしまった事実は当然のしかかり、私の気持ちをより暗くさせた。「復活するには時間がかかる」なんて悠長な事を云うしかなかったし、同棲した人も、自分のせいでひとつの幸せを壊してしまったのかもしれないと、悩んでいた。
同様の答えしか導き出せなかった。もう私はしばらく寝たきりになっていた。
何度か自殺を仄めかしたが、聞きいれてはくれなかった。私も死ぬのは怖かった。
しかし、死ぬしか方法がないのだ。もう帰る家が無いのだ。あるのだが、無いのだ。あるように見えるだけだ。これから人生がうまくいく方法もない。地道に働く術が分からないから、紆余曲折してきた。とんでもない甘ったれ。本当に死ぬべきなのだ。
何もかもが回復することなんてあるわけがない
時間はそこまで優秀なわけなどない。ドラマのように数カ月後…となって、パッと別人になれるなら、この国は年間3万人もの自殺者を出さない。
一生変わらないかもしれないし、数年かもしれないし、数か月かもしれない。
クズなクセに底辺のゴミのクセに明確な焦りはあった。いや、底辺だから、ゴミメンヘラだからこそよく分かるのだ。
何もしなければしないで社会的なステータスはどんどん悪くなること。より腐ってゆくこと。人間には「目には見えない鮮度」がハッキリとあるのだ。
そして履歴書にどれだけ腐っているのか自分の意思・自分の手で明確にしなければいけない。想像しただけで恐ろしい事だったので(今はもう慣れてしまって腐りに腐ってしまった。)腐乱が進むことはなるべく避けなければならない事だったのだ。
そんな事で病んでいた私を、ともかく気分が暗いのをなんとかしようと、知人が私をパチンコ屋に連れてっていくれた。
これが、今も苦しむパチンコ依存症との出会いだった。
私が初めて打った台は、アクション映画スターの台。子供の頃大好きで、ごっこ遊びもした。映画は20本は見ただろう。私を沼に沈めたのは私が尊敬するスター。好きだったものにすら私は喰われた。
大好きだったのは、最終的なところで私の力にはならない。何でも、誰でも。今でも。
2章以降からは冬コミで!